選手寸評
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北條史也(ほうじょう・ふみや)は、美木多小4年から浜寺ボーイズで野球を始め、堺市立美木多中ではオール狭山ボーイズに所属。光星学院高では1年秋から「3番・遊撃」で活躍し2年秋の神宮大会では逆転サヨナラ満塁弾。チームの主軸として2年夏から3年夏の甲子園で3季連続で準優勝に貢献。3年春のセンバツでは打率.450で準Vに貢献。3年夏の甲子園では計4本塁打をマークした。2012年ドラフト2位で阪神に入団し、1年目から二軍で積極的に起用され、4年目の16年、22歳にして122試合に出場し、飛躍を遂げた。しかし翌17年は再び二遊間のレギュラー争いを混とんとさせてしまったことで、ライバルの台頭を防ぎ切れなかった。開幕二軍スタートとなった18年は糸原、植田らとポジションを争い、7月以降は遊撃スタメンに定着して62試合で打率.322をマーク。再びレギュラー格の1番手に浮上したはずが、今度は9月14日の甲子園でのヤクルト戦でダイビングキャッチを試みた際に左肩亜脱臼を負い、再び居場所を明け渡した。19年以降は同学年の木浪にも苦戦を強いられた。21年はドラフト6位ルーキー中野のスピード感に注目度を奪われる状態に。22年は後半戦に一軍に昇格。試合に出場すれば、相手が嫌がる野球をするプレーを随所に見せた。だが翌23年は一軍への声がかかることなく、同年オフに戦力外通告を受けた。その後、社会人野球の三菱重工Westからオファーが届き、プレーしている。
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