選手紹介
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田中広輔(たなか・こうすけ)は、東海大相模高から東海大、JR東日本を経て2013年ドラフト3位で広島に入団。15年から遊撃のレギュラーに定着すると、16年は一番打者に抜擢され、フルイニング出場を果たしリーグ優勝に貢献。17年は広島の遊撃手として史上初となる2年連続フルイニング出場を達成。最多盗塁と最高出塁率の2冠に輝き、連覇の原動力となった。18年も広島不動の遊撃に座り、3年連続のフルイニング出場。17年に巨人にドラフト5位で指名された田中俊太は実弟で、18年にはセリーグのクライマックスシリーズ史上初となる兄弟対決が実現した。だが、21年は自己ワーストの81試合にとどまり、遊撃のポジションは後輩・小園海斗に取って代わられた。フルイニング出場が止まって以降、狂い始めた歯車。22年はキャリア最少41試合で、放ったのはわずか8安打。23年は出場試合数が3年ぶりに100試合を超えた。24年は開幕3戦目でチーム1号本塁打を放つなど幸先よく滑り出すも、その後低迷し、66試合出場と前年を大きく下回った。「打てないと試合に出られない」と危機感を持って自分自身を俯瞰。フィジカル面を整えて、不退転の決意で臨む。
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