選手紹介
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藤浪晋太郎(ふじなみ・しんたろう)は、竹城台東小1年から竹城台少年野球クラブで野球を始め、2年時から投手。宮山台中では大阪和泉北ボーイズに所属し、3年時にはIBAF主催AA世界選手権出場(7位)。大阪桐蔭高では1年夏からベンチ入りし、2年春から背番号1。3年時にはエースとして史上7校目の春夏連覇を成し遂げ、優勝投手に輝いた。2012年ドラフトで4球団から1位指名を受け阪神に入団。1年目の14年から3年連続で2ケタ勝利を挙げた。17年以降投球フォームに狂いが生じ、なかなか勝てない時期が続いたが、20年、中継ぎに起用されてから、感覚を取り戻した。21年は開幕先発ローテ入りを目指していた中で、開幕投手に抜擢された。しかし不調でファーム落ちし、再び一軍に昇格した後はリリーフとして登板。22年シーズン終了後にポスティングシステムによりメジャー挑戦を表明し、23年1月にアスレチックスに入団することが発表。開幕から先発として登板していたが、成績としては苦しい状況が続き、リリーフに転向。その後は徐々に調子を戻しつつあった。同年7月19日(日本時間20日)にオリオールズへのトレードが決定し、移籍となった。常に100マイル前後の真っすぐとスライダーで抑えられることを証明してみせた。24年からはメッツへの移籍。だが、開幕前にマイナー落ちし、その後は最後までメジャー昇格を果たせず終了。シーズン終了後にFAとなっていたが、マリナーズとマイナー契約で合意したと報じられた。
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