選手寸評
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堂林翔太(どうばやし・しょうた)は、中京大中京高で3年夏の甲子園でエース兼四番打者としてチームを牽引し、優勝に貢献。2009年ドラフト2位で広島に入団。プロでは野手に専念し、3年目の12年に144試合、全試合に出場。チーム最多の14本塁打を放ったが、当時の広島のシーズン最多三振記録(150三振)も達成した。同年から三年連続オールスター出場。さらなる飛躍が期待され、13年から背番号を「7」に変更。しかし、左手首の骨折などもあり出場数が減少。以降は、外野にも挑戦し、打撃ではフォーム改造を重ねるなど、浮上のきっかけをつかむための試行錯誤が続く。21年は8月初旬まで3割5分以上の打率、シーズン通しても打率.279、14本塁打、58打点と、プロ11年目の覚醒を見せた。しかし21年は、打率.190で本塁打0の5打点。4月中旬から1割台の打率に終始し、一、二軍を往復。ファームでは好調なこともあったが、一軍ではそのバットが火を噴くことはほとんどなかった。22年は代打で3本塁打の勝負強さを見せつけた。23年は現役時代にお世話になった新井貴浩監督の下、四番打者を経験するなど3年ぶりに2ケタ本塁打を達成。24年からは選手会長に就任と、新しいチャレンジも。個人としては打撃力アップ、盗塁数増に努めていく一方で、「(優勝するには)ベテラン、中堅、若手のバランスが大事。みんなをつないでいきたい」と視野を広く持って引っ張っていく。
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