生年月日
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1982年1月5日(41歳)
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身長
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175cm
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体重
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80kg
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血液型
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A型
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出身地
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宮崎県
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経歴
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日向高 - 早大 - ヤクルト04年〜11年 - ブリュワーズ - ロイヤルズ - ジャイアンツ - マリナーズ - アストロズ - ブルージェイズ - メッツ - ヤクルト18年〜
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ドラフト
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2003年4位ヤクルト
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タイトル
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首位打者(05年、07年、10年)、最多安打(05年、06年)、最多盗塁(06年)、最高出塁率(07年、09年)、ベストナイン(05年〜11年)、ゴールデングラブ(06年〜11年、20年)、新人王(05年)
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今季年俸
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3億4000万円
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選手寸評
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青木宣親(あおき・のりちか)は、日向高から早大を経て2003年ドラフト4巡目でヤクルトに入団。2年目に当時セ・リーグ記録の192安打を放ち、最多安打、首位打者のタイトルを獲得し新人王に。その後も07、10年に首位打者になるなど日本を代表する打者となった。12年にポスティングシステムでブリュワーズに移籍。14年はトレードでロイヤルズに。主に一番、二番打者として29年ぶりのワールド・シリーズ進出に貢献。15年にジャイアンツ、16年にマリナーズでプレーし、16年オフにアストロズに移籍するも、シーズン中にブルージェイズ、メッツと渡り歩いた。18年にヤクルト復帰。プロ1年目の04年から09年まで着けた「背番号23」のユニフォームに再び袖を通した。復帰後はコンスタントに成績を残し活躍。20年はキャプテンに就任し、ゴールデン・グラブ賞も獲得した。21年の8月18日巨人戦(松山)では、日米通算2540安打を記録。これは大卒選手最多で、金本知憲を上回る。さらに8月21日の広島戦(マツダ広島)では、史上74人目となるNPB通算300二塁打をマークした。23年から球界最年長野手となった稀代のヒットメーカー。NPB通算2000安打達成も視野に入る。
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