投手 | 右投右打
生年月日 | 1949年11月27日 |
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没年 | 2022年 (享年72歳) |
身長 | 181cm |
体重 | 78kg |
出身地 | 広島県 |
経歴 | 福山電波工高 - 東京・ロッテ68年~90年 |
ドラフト | 1967年1位東京 |
選手紹介 | 村田兆治(むらた・ちょうじ)は、福山電波工高(現近大福山高)から1967年ドラフト1位で東京(のちロッテ)入団。剛速球とフォークボールで2年目の69年に6勝(うち5完封)。その才能の片鱗を見せた。71年に12勝するも伸び悩み、73年までは2ケタ勝利は1度。74年、ロッテが優勝した年にマサカリ投法とフォークボールがほぼ完成して12勝。75、76年は抑え兼任となったが、2年連続防御率1位。76年は21勝をマークしてパ・リーグを代表する投手に。81年には19勝して初の最多勝。しかし、82年に右ヒジを痛め、83年に渡米して腱移植手術。84年は5試合の登板にとどまったが、85年に完全復活。日曜に登板して勝ち続け(開幕12連勝)、“サンデー兆治”の異名を取った。この年17勝。89年には3度目の防御率1位。90年、10度目の2ケタ勝利をマークして引退した。以後もトレーニングを続け、60歳を超えても140キロ前後の球を投げていた。妥協を許さぬ頑固な性格で「昭和生まれの明治男」とも称され、生涯離島の野球普及に尽力したことでも知られる。22年11月11日、自宅の火災により一酸化炭素中毒で死去。72歳。 |
年 |
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1968 |
1969 |
1970 |
1971 |
1972 |
1973 |
1974 |
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1976 |
1977 |
1978 |
1979 |
1980 |
1981 |
1982 |
1984 |
1985 |
1986 |
1987 |
1988 |
1989 |
1990 |
通算 |
NPBの1軍出場成績とMLBの出場成績