選手紹介
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源田壮亮(げんだ・そうすけ)は、大分商高、愛知学院大から卒業後はトヨタ自動車に入社。初の頂点に輝いた16年夏の都市対抗では『恐怖の九番』として日立製作所との決勝でも2安打をマークし、優秀選手賞を受賞した。2016年ドラフト3位で西武入団。石毛宏典以来、36年ぶりの開幕戦新人遊撃手スタメン出場を果たし、新人遊撃手としては初のフルイニング出場を達成。新人王を獲得した。18、19年は「二番・遊撃」で連覇に貢献。20年からはキャプテンに就任。開幕から打撃不振が続きスタメンを外れることもあったが、120試合に出場。3年連続でゴールデングラブ賞・ベストナインを受賞した。21年も開幕からスタメン出場を続けていたが、太ももの不調と新型コロナウィルスの陽性もあり、6月に一軍復帰。夏には東京オリンピック代表にも選出され、代走と三塁の守備固めとして3試合に出場し金メダルに貢献した。22年は5月6日の日本ハム戦(ベルーナ)で自打球を当て、右足を骨挫傷。約1カ月間戦列を離れ、最終的には108試合、110安打、打率.266と、いずれもキャリア6年間でワーストの成績に終わった。だが、最大の武器である守備面は変わらずの抜群の安定感を披露した。23年は3月のWBCで、その期待に応え、最大の武器である堅守でチームを支えた。大会中、右手小指を骨折するアクシデントに見舞われたが、離脱せず最後まで戦い抜くことを選択。2試合を欠場したのみで他すべてにスタメン出場し、優勝に大きく貢献した。一方で、シーズンでは骨折の影響は大きく、23年の一軍出場は100試合とキャリア7年で最も少ない数字となった。打率も自己ワーストの.257に。この並々ならぬ悔しさをバネに、24年はこれまで以上の奮起を誓う。
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