選手寸評
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吉田正尚(よしだ・まさたか)は、敦賀気比高から青学大を経て2015年ドラフト1位でオリックス入団。「一番・DH」で開幕スタメンに名を連ね、新人タイ記録となる開幕から6試合連続安打をマーク。腰痛で戦線を離脱するも、8月にプロ初アーチ以降37試合で10本塁打と量産した。大きな期待を寄せられた17年は再び腰痛を発症して開幕直前に離脱。7月に復帰すると、力強いスイングを見せ、2年連続となる2ケタ12本塁打を記録。18年はチーム唯一の全試合出場と開幕前に掲げた目標を達成し、6月から四番に定着して打率321、26本塁打、86打点の成績でベストナインを受賞。19年も2年連続の全試合出場を果たして、打率.322、29本塁打とキャリアハイの成績を残した。20年は打率は.350をマークして、首位打者に。自身初の打撃タイトル獲得した。3年続けてパ・リーグベストナインにも選出。21年からは新選手会長に就任し、チームを盛り立てた。東京オリンピックにも出場し、日本の金メダル獲得に大きく貢献。9月3日のソフトバンク戦で負傷をし、「左太もも裏の筋損傷」の診断を受け、5日に抹消。17年10月7日から続けていた連続試合出場は512試合でストップした。10月に入ると今度は死球を受けて右尺骨骨折と再びの欠場となったが、最終打率.339で終了。球団ではイチロー以来となる2年連続首位打者、および初受賞となる最高出塁率(.429)の2冠に輝いた。22年は背番号を『7』に変更。不動の軸として打線をけん引してリーグ連覇に導くと、CS、日本シリーズで2本ずつアーチをかけて日本一に大きく貢献した。オフにポスティングでMLBに挑戦することが発表され、23年からはレッドソックスでプレーすることが決まった。
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