生年月日
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1988年11月1日(36歳)
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身長
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188cm
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体重
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97kg
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血液型
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A型
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出身地
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兵庫県
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経歴
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駒大苫小牧高[甲] - 楽天07年〜13年 - ヤンキース14年〜20年 - 楽天21年
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ドラフト
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2006年高校生1位楽天
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タイトル
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最多勝(11年、13年)、最優秀防御率(11年、13年)、最多奪三振(12年)、最高勝率(11年、13年)、沢村賞(11年、13年)、MVP(13年)、新人王(07年)、ベストナイン(11年、13年)、ゴールデングラブ(11年、12年、13年)
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今季年俸
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2億6000万円
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選手寸評
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田中将大(たなか・まさひろ)は、小学校1年時に野球を始め、所属した少年野球チームで坂本勇人とバッテリーを組んでいた。高校は北海道の駒大苫小牧高に進学。甲子園に3度出場し、3年時の早実高との決勝戦では、斎藤佑樹と投げあって引き分け再試合の末、敗戦した。2006年高校生ドラフト1巡目で楽天入団。1年目に先発として11勝を挙げ、新人王。08年の北京五輪、09年の第2回WBCで日本代表入り。11年は19勝を挙げ沢村賞、最多勝などを獲得。13年は第3回WBCに出場し、シーズンでは24連勝(0敗)の日本プロ野球新記録を更新するなど絶対的エースとして君臨し、球団史上初の日本一に貢献した。同年オフにポスティングシステムを行使しニューヨーク・ヤンキースへ移籍。1年目から13勝を挙げると、その後もチームの先発ローテを支えた。20年オフにヤンキースからFAとなり、21年シーズンから8年ぶりに古巣・楽天へ復帰することが発表された。日本球界復帰1年目は4勝9敗。22年は自身ワーストの6連敗を喫するなど9勝12敗、防御率3.31。163イニングを投げてゲームメーク能力の高さはさすがだったが、要所で踏ん張れないマウンドが続いた。23年オフに右肘のクリーニング手術を受けた。あと3勝に迫った日米通算200勝は早々にクリアしたい。
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