投手 | 右投左打
生年月日 | 1983年11月8日 |
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身長 | 180cm |
体重 | 77kg |
血液型 | O型 |
出身地 | 新潟県 |
経歴 | 長野商高[甲] - トヨタ自動車 - オリックス05年〜18年 - 日本ハム19年〜22年 |
指導経歴 | 日本ハム24年〜(二軍投手コーチ) |
ドラフト | 2004年自由枠オリックス |
タイトル | MVP(14年)、沢村賞(14年)、最優秀防御率(14年)、最多勝(10年、14年)、最多奪三振(13年)、ベストナイン(14年)、ゴールデングラブ(14年) |
選手寸評 | 金子千尋(かねこ・ちひろ)は、長野商高からトヨタ自動車を経て2004年ドラフト自由獲得枠でオリックス入団。07年途中で先発に転向すると08年から先発ローテ入り。10年には17勝(8敗)で最多勝を受賞。11年、12年と度重なる故障に悩まされるも、13年は1年間をとおして先発ローテを守り抜き、最多奪三振のタイトルを獲得。翌14年には選考基準7項目をすべてクリアし、沢村賞を受賞するなど、球界を代表するエースに。しかし、その後は故障等もあり4年間で2桁勝利1回に終わると、18年オフに自由契約を希望し退団。同年12月に日本ハムへの入団と登録名を「金子弌大」に変更すると発表した。21年はルーキーイヤー以来の未勝利で終わった。現状のコンディションに即した最高のパフォーマンスを体現できれば、復活も十二分に可能だ。22年シーズンから登録名を本名の「金子千尋」に戻した。同年日本ハムからコーチ打診を受けたが、他球団で現役続行を目指すために退団。しかしNPBからのオファーがなく引退決断となった。24年からは日本ハムの二軍投手コーチとして球界に復帰する。 |