外野手 | 右投右打
| 生年月日 | 1972年1月28日 |
|---|---|
| 身長 | 181cm |
| 体重 | 76kg |
| 血液型 | A型 |
| 出身地 | 福岡県 |
| 経歴 | 西日本短大付高 - 阪神90年~20年 - メッツ01年 - ジャイアンツ02年 - メッツ03年 - 日本ハム04年~06年 |
| 指導経歴 | 日本ハム22年~(一軍監督) |
| ドラフト | 1989年5位阪神 |
| タイトル | ベストナイン(93年、00年、04年)、ゴールデングラブ(93年、94年、96年~00年、04年、06年) |
| 選手紹介 | 新庄剛志(しんじょう・つよし)は、1989年ドラフト5位で阪神入団。1年目の90年は一軍出場なし。二軍でも打率.074と精彩がなかった。2年目の91年に一軍デビュー、初打席で初安打を放ち、初打点もマークしたが、13試合の出場に終わる。そして92年、初スタメンで初打席の初球を初本塁打に。そのまま一軍に定着して、亀山努と“亀新フィーバー”を巻き起こすと、94年からは「5」に。その後も舞台はメジャー、日本ハムと移ったが、“新庄劇場”は続く。シーズン序盤に引退を宣言した06年、日本ハムは北海道へ移転して初の日本一になったが、9月27日のソフトバンク戦(札幌ドーム)が最後の公式戦に。渡部龍一の背番号を1日だけ譲り受けての引退セレモニー。“新庄劇場”のラストを飾ったのも「63」だった。ただし、プレーオフ以降は何事もなかったかのように再び「1」でプレー。引退後は日本球界から離れていたが、20年12月には06年以来の現役復帰を目指し、12球団合同トライアウトに参加した。そして21年10月、日本ハム監督就任。監督として“新庄劇場”の第2章が開幕した。22年開幕前に登録名を新庄剛志からBIGBOSSに変更。23年は登録名を「BIGBOSS」から「新庄剛志」に戻し本気で頂点を狙うシーズンをスタートしたが、結果は2年連続最下位。浮上を目指して勝負の年となる24年の3年目。大型補強に動いた球団の本気度を背に最低でもAクラス入り、さらなる上位進出を目指す。 |
| 年 |
|---|
| 1991 |
| 1992 |
| 1993 |
| 1994 |
| 1995 |
| 1996 |
| 1997 |
| 1998 |
| 1999 |
| 2000 |
| 2001 |
| 2002 |
| 2003 |
| 2004 |
| 2005 |
| 2006 |
| NPB通算 |
| MLB通算 |
| 通算 |
NPBの1軍出場成績とMLBの出場成績