内野手 | 左投左打
生年月日 | 1948年5月24日 |
---|---|
身長 | 176cm |
体重 | 90kg |
血液型 | A型 |
出身地 | 静岡 |
経歴 | PL学園高 - 松下電器 - 阪急69年〜82年 - 広島83年 - 近鉄84年〜85年 - 巨人86年 - 南海87年引退 |
指導経歴 | 日本ハム95年〜97年 - オリックス03年〜05年 - 履正社学園(社会人) - 大阪ガス - 中日16年(チーフ打撃兼野手総合コーチ)〜17年 - 関西独立L/兵庫 |
ドラフト | 1968年2位阪急 |
タイトル | MVP(75年)、首位打者(73年、79年)、最多打点(75年、76年、79年)、ベストナイン(73年、75年〜77年、79年)、ゴールデングラブ(75年〜77年) |
選手寸評 | 加藤秀司(かとう・ひでじ)は、PL学園高では2年時にセンバツ出場。1966年のドラフトで東映から4位指名を受けるも拒否し松下電器に入社。68年補強選手で出場した富士鉄広畑が都市対抗で優勝。この大会での活躍が認められ、この年のドラフトで阪急に2位指名され入団。2年目の70年35試合出場ながら打率.333を打って西本幸雄監督に認められ翌71年三番・一塁に定着、打率.321(2位)をマークした。さらに73年には打率.337で首位打者。リーグを代表する左打者に。この年から5年連続3割。この間、75、76年打点王。75年はMVPに輝いた。79年には.364の高打率で2度目の首位打者。3度目の打点王も獲得した。下半身の強さと粘りで難球を犠飛にする高等技術で105犠飛は歴代2位。87年(南海)には2000安打達成。“二塁打男”でもあり、6試合連続二塁打、1試合3二塁打5回の記録を持つ。広島-近鉄-巨人-南海と歩き87年に引退。 |