外野手 | 右投左打
生年月日 | 1944年1月4日 |
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身長 | 193cm |
体重 | 91kg |
出身地 | 米国ウエストバージニア州 |
経歴 | パリーマックルア高 - ツインズ - ドジャース - ヤクルト76年~78年 - 近鉄79年~80年 - ヤクルト81年 |
タイトル | 最多本塁打(79年、80年)、最多打点(80年) |
選手紹介 | チャーリー・マニエルは、1976年ヤクルトに入団。2年目に42本塁打、97打点、打率.316、3年目、78年のVイヤーにも38本塁打、103打点をマークしたが、広岡達朗監督は「走れない、守れない選手はいらない」と近鉄に放出した。西本、広岡両監督が電話で決めてしまったというが、パにはDHがあるから守る必要もなく、打撃のみに集中できるのは大きなプラスだった。さらにマニエルにとって幸運だったのが西本監督との出会いだ。リラックスしたマニエルの構えとタイミングの取り方は西本監督の打撃理論とピタリと合った。性格的にも、いつも気難しい顔をしているが、意外と冗談好きな西本監督と気が合い、向こうは日本語、マニエルは英語なのだが、通訳も介さず、30分でも1時間でも話し続け、互いに腹を抱えてゲラゲラ笑っている姿がよく見られた。 |