内野手 | 左投左打
生年月日 | 1939年12月4日 |
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没年 | 2005年 (享年65歳) |
身長 | 180cm |
体重 | 85kg |
出身地 | 山口 |
経歴 | 柳井高(甲) - 阪神58年〜77年 |
選手寸評 | 遠井吾郎(とおいごろう)は、柳井高では、3年春の甲子園で準々決勝進出も王貞治擁する早実に敗退。卒業後、大阪タイガース(現=阪神)に入団した。打撃力を評価され、一塁手や代打で試合に出場した。阪神が優勝した1964年には主に四番に座り、規定打席には到達しなかったものの、打率.282、本塁打12本の成績を残した。プレー中もメガネを掛けており、64年の優勝時にファンに胴上げされた際、メガネが踏まれて割れてしまった。そのため翌日から予定されていた日本シリーズには度が合うものが用意できず、今ひとつ振るわずチームも南海に破れた。その後も中心打者としてチームを支え、晩年には代打としても活躍し、77年に引退した。 |