外野手 | 右投右打
生年月日 | 1924年11月22日 |
---|---|
没年 | 1997年 (享年72歳) |
身長 | 170cm |
体重 | 69kg |
出身地 | 兵庫 |
経歴 | 滝川中 - 巨人42年(途中)〜43年、阪急46年〜47年 - 巨人48年〜52年 - 洋松・大洋53年〜58年 - 阪急59年 |
指導経歴 | 阪神62年〜63年 - 阪急65年〜67年 - 大洋72年〜73年 - 巨人80年 |
選手寸評 | 青田昇(あおたのぼる)は、滝川中在学時の1942年に17歳で巨人入り。終戦後は阪急で2年間プレーしたが、48年から再び巨人のユニフォームを着ると、川上哲治らに並ぶ中心選手として第2期黄金時代を築いた。ダイナミックな打撃と豪放な人柄で「じゃじゃ馬」の異名を取った。在籍7年間で優勝5回と巨人で栄光の日々を送ったが、53年から洋松・大洋、59年に阪急へと移籍し、現役後半は打倒巨人に燃えた。引退後は1年ほど野球評論家として活動。62年に阪神コーチとして現場復帰を果たすと、藤本定義監督の片腕として優勝に貢献。その後、わずか2年で阪神を去り再び解説者に。65年に阪急監督の西本幸雄に招かれコーチに復帰。3年目に球団初のリーグ優勝を成し遂げ「優勝請負人」の名をほしいままにしたが、その直後には周囲の慰留を振り切りまたも退団した。地位や名誉への執着心とは無縁の在野精神。それはやはり、じゃじゃ馬の名にふさわしいものだった。 |