外野手 | 右投右打
生年月日 | 1920年8月23日 |
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没年 | 1999年 (享年78歳) |
身長 | 180cm |
体重 | 75kg |
出身地 | 兵庫 |
経歴 | 甲陽中(甲) - 慶大 - 全大阪 - 阪神48年〜49年 - 毎日50年〜57年 |
選手紹介 | 別当薫(べっとうかおる)は、旧制甲陽中時に甲子園出場し、卒業後は旧制慶大に進学。慶大では、4番打者として当時最高打率を残し首位打者を獲得した。その後、ノンプロチーム全大阪を経て、大阪タイガースへ入団。1年目の1948年から打率.328、13本塁打の好成績を残し、翌年以降も「ダイナマイト打線」の中軸として活躍した。50年に毎日オリオンズへ移籍。この年はプロ野球史上初のトリプルスリー(打率.335、43本塁打、34盗塁)達成に加え、本塁打王、打点王、パ・リーグの初代MVPを獲得した。52年から監督代行を務め、54年から選手兼任監督となり、57年に選手を引退した。引退後も59年まで毎日の監督を務めた。その後も近鉄、大洋、広島の監督・コーチを務めたが優勝とは縁がなく通算1000勝以上の監督で唯一優勝経験がなかった。 |