選手紹介
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清水達也(しみず・たつや)は、藤沢小1年時に深谷ボーイズで野球を始め、藤沢中では軟式野球部でプレーし、3年時に在籍した埼玉スーパースターズ(Kボール)では全国大会8強。花咲徳栄高では1年夏からベンチ入り。2年春のセンバツでは登板機会なく、夏は1試合の救援登板。3年夏の甲子園でエースナンバーを背負って胴上げ投手になり、その年のドラフト会議で中日から4位指名を受けた。プロ入り後は先発として2年目の19年に2勝、20年に1勝を挙げた。将来の先発ローテーション候補として期待されたが、転機が訪れたのは5年目の22年だ。中継ぎに転向すると、主に7回を担い、自己最多の54試合に登板し、3勝3敗、32ホールド。23年も50試合に登板し、ドラゴンズのブルペンを支えた。23年、中継ぎ転向2年目も勝利の方程式を担って14試合連続無失点も記録したが、シーズン終盤は不調から二軍降格も。それでも2年連続50試合登板とノルマは達成。キレのある真っすぐと鋭く落ちるフォークのコンビネーションで凡打の山を築いた。23年オフに生まれ育った深谷市の親善大使に就任した。24年は目標だった3年連続50試合登板&防御率1点台は難なくクリア。勝利の方程式の一角として主に7回のマウンドを担って腕を振り続けた。落差の大きいフォークが最大の武器。プレミア12でも侍ジャパンの一員として4試合を無失点に抑え込む堂々のピッチング。
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